| 郷土の無名画家〔岩井昇山〕 |
岩井昇山は寄居町桜沢本村に住し、妻(くに)と共に身寄りとてなく暮らしていた。糊口をしのぐため、遠近の僅か訪うひとの求めに応じ、祝い絵の蓬莱山などを書きながら、古武士そのものの枯淡の日々をすごしていたという。
翁は名は小五郎といい、号は昇山、明治三年東京に生まれる。父祖は京都伏見の甲冑師、岩井平次郎秀一師で、蜂須賀阿波守の家臣。明治維新の際、旗本八万旗の版籍奉還と共に零落したという。
父の太政官任官後、幼くして松本楓湖、吉沢雪山に歴史画を学ぶ。以来、今日までこの道に精進した。世に無名的ではあるが、その絵画たるや実に清澄透徹、澄みて鏡の如しで、一種独特なる風格を持った名画である。
昇山の絵を生まれてはじめて見て私は驚いた。
「これが昇山の絵か!!」
まさに俗を越えた悟悦の境地。いうなれば、かの剣聖「宮本武蔵」の筆を思い驚嘆した。
おそらく一級品にて、識者もまた感銘する事は想像に難くはない。
昇山は昭和二十八年一月十一日未明、眠るがごとき大往生を遂げたという。
以上、昇山における簡潔にして明瞭な紹介文の作者を私は知らない。いや詮索するのは止めにしよう。幻の画家、昇山にいかにもふさわしいから・・・。以下、作品を紹介する。
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春夏秋冬(襖絵)
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| Syoukiと鬼 | 竹林三賢人 | 鳥 |
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昇山の貴重な情報をなんと血縁の方からいただいた。本人の承諾を得て全文ここに掲載する。
2年前に亡くなった祖母から岩井昇山(小五郎)の話をよく聞きました。 私の祖母、岡部とも江 (旧姓江間とも江)の母、スエは岩井昇山の妹であったとのことです。子供の頃はよ く母親と一緒に叔父昇山の住む埼玉の家に出かけたとのこと。岩井小五郎の父(名は 不明)は明治天皇が幼少のときよりお付の武士としてお傍につかえ、岩倉具視や桂小五郎とともに活動した勤皇の志士であったと聞きました。京都では桂小五郎を幕府の手のものからかくまい、その縁故で息子を小五郎と名づけたとのこと。小五郎の父は 維新後、明治天皇から御徒町の地に広大な土地を賜ったそうですが、江戸に溢れる浪人たちに次々と自分の財産を分け与え、最後はたいへん質素な暮らしをしていたと か。お葬式には、その恩を偲ぶ人たちが長蛇の列をなしたと聞いております。現在勤務中の会社からメールを書いております。祖母から伝え聞いた昇山の話は自宅 から今晩メールさせていただきます。取り急ぎ、御礼旁々御案内迄。 敬具 NH(八王子在住) |
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>NH様
> >感動的な昇山に関してのメール、ありがとうございました。 >これこそインターネットのなせる技ですね。 >ぜひ、より詳しい事を教えていただければ幸いです。 > >もし差し支えなければ、私のサイトに貴兄を紹介したいのですが・・・。 >また機会があれば、一度、拙宅においでください。どうか作品をご覧下さい。 柴崎 柴崎 猛 様 メールありがとうございました。ご好意に甘えて是非ともうかがわせていただきたく 存じます。また私でよければ何なりとサイトでお使いになってください。作品という のは昇山の作品でしょうか。長年の夢がかなえられるとは、喜びの限りであります。 さて、それでは話の続きをさせていただきます。 父亡き後、江戸は御徒町の屋敷から 寄居町に移り住んだ小五郎は、その地で絵の道に邁進したとのことです。特に夜中あちこち歩き回り絵を創作していたため、こうもりの画家とあだ名されたそうです。生活スタイルの厳格さは武士そのもので、祖母の思い出では叔父の家に遊びにいったときに正座の足をくずしただけで、たいへんなお叱りを受けたそうです。そのくせ小五 郎が飼っていた猫にはたいへん甘く、鯛のごちそうを食べるときでもまずは一番おいしい身の部分は全部猫にあげてしまい、自身はその残りを食べていたとのことです。 何事においても無欲な人で、金銭のために絵を描くという気持ちはもっていなかった そうです。貴兄のHPに、遠近の僅か訪う人の求めに応じ、という一文がありましたが、この人とはおそらく小五郎の妹、すえであろうと思います。すえの夫、江間平吉 は妻と子供4人(この中に私の祖母もおりました)を連れ、第一次大戦後の中国に移 り住み石炭事業を起こしましたが失敗し、失意のうちに中国で亡くなりました。夫な き後4人の子供をかかえ、東京にもどったすえが頼れる身内は寄居町に住む兄岩井小五郎しかいなかったそうです。小五郎は妹すえの求められるままに次々と猛烈なス ピードで絵を描いていき、すえ一家の生活を支えたと聞いております。では、お会いできる日を楽しみにいたしております。 敬具 柴崎様 先日はお招きにあずかり、誠にありがとうございました。昇山の絵を初めて見ることができたことはもとより、柴崎様やすばらしい家族の方々にお会いできたことは、私にとって大変な喜びであります。あの時は昇山の絵を堪能しながらも、名もない画家昇山の絵をあんなにも大切に保存してくださっているお父上の心意気、洞察力そして、懐の深さにただただ心を打たれ、感じ入る、ばかりでした。昇山の妻くにさんのことを鮮明に憶えてくださっていた飯島さんのお話や無縁仏の昇山のお墓を大切に守ってくださっている龍源寺の住職さんのこと、昇山の絵を見たときの透明感について語ってくださった喜楽のおかみのこと、そして昇山の絵を前に、何とも趣ある宴を用意してくださった柴崎様ご夫妻のこと、こうした現在の方々のことを思うだけでも、昇山が武州寄居の地を最後の地に選んだ理由がわかるような気がして参りました。私にとって昨日の七夕は一生涯忘れ得ぬ大切な日になると思います。では8月4日、またお会いできれば幸いです。実のところ昨日は帰りの道中、花火の太鼓が鳴り響く中、花火が荒川の水面に映る様など勝手に思い描き、ひとり悦にはいっておりました。==N H |
昇山に関する情報があったら何なりとお寄せ下さい。
sobasaki@olive.ocn.ne.jp
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