マイ・オピニオン
『まちづくりと商工会青年部活動』
1、序 秩父への思い(憧憬の地・秩父)
2、自己紹介
3、私の商工会青年部活動
4、寄居町の様々なまちづくり組織
5、最近考えること

『まちづくりと商工会青年部活動』

1、序 秩父への思い(憧憬の地・秩父)

「秩父はひとつ」この言葉を私が知ったのは、秩父連峰享和国という会報を読んだときでした。会報を発刊するのは吉田町の青玻亭カレー倶楽部という団体で、青玻亭・亭主の電通OB長縄源太郎氏を中心に集う地域を考えるまちづくりの会でした。今日ここに秩父郡下の青年部が一堂に会して勉強と情報交換をすると聞き、秩父の皆さんの心の底流に「秩父はひとつ」の思いが流れているのだなと実感したわけです。
私にとって『秩父』は、(1)信仰の地 (2)埼玉の精神的支柱なのです。先般国会では森嘉朗首相の『神の国』発言が話題になっていましたが、森首相の発言はいつも言葉足らずのことが多く、真意が理解されていないようですね。秩父という土地は私たちにとって「神の棲む地」といってよいと思っています。秩父札所巡り、三峰神社、秩父神社、宝登山神社…山岳信仰を含めて信仰の土地だと考えています。それから埼玉県では政令指定都市を目指して「さいたま市」が近く誕生するなど東京都と接する県の南部地域がさいたまの中心のように思われていますが、真の埼玉らしさ、アイデンティティーは秩父にこそ存すると思うのです。秩父の夜祭、秩父事件など歴史的にも文化的にもこの地こそ埼玉の精神的な柱だと思うのです。
最近の秩父に関する話題としては、おがさか遺跡、長尾根遺跡における原人の建造物跡の発見と、その後に例の東北旧石器文化研究所・副理事長の発掘への関与から遺跡自体の信憑性に疑義が出されていることは大変に残念なことと感じております。秩父原人に因んだ様々な地域おこしの試みが始まっていたことを聞くと、地域おこしの手法についての問題提起なのかと考えたりもしています。さて文化的な話題として私たちが良く耳にするのは、200年の伝統をもつという小鹿野歌舞伎、或いはラジオで永六輔氏が時折話題にするオペラ「帝(みかど)」(本来は「ちちぷ」と言うらしい)についてです。新しいものにとびつくのでなくこれまでに語られてきた様々な地域の資源をもう一度精査してみる必要があると痛感しています。

2、自己紹介

私は昭和33年の1月生まれです。皆さんよりもいくつか先輩です。寄居町に生まれ育ち、学生時代と社会人の2年間を東京で過ごしました。寄居にUターンして20年になりますが、最近、人生にはやはりいくつかの転機と言うものがあるなと感じております。特に挫折した経験はことさら記憶に深く刻まれているものです。大学入試での失敗、社会人2年目での退社などです。寄居町の禅寺・泉福寺の嵩山弌道老子は「挫折は麦踏み、成長の糧」と説かれておられます。挫折という経験をどのように自らの人生の糧としていくかを学んでいくことこそ肝心でしょう。

さて、私の職業は豆腐屋です。店の名前は「岩之崎豆腐・大谷豆腐店」といいます。文久2年生まれの曽祖父大谷七五郎が桜沢村岩崎の現在の地に豆腐屋を起こしたのが始まりです。創業は明治20年ごろと言われております。豆腐の製造過程を簡単に説明しますと、原材料の丸大豆を水洗いして浸漬します。その大豆を水を加えながら磨砕します。つぎにその呉を煮沸し、煮あがったものを濾し袋でこし、豆乳とおからに分けます。出来た豆乳に苦汁(凝固剤)を加えて徐々に攪拌し、固まってきたものを型箱に入れて成型します。それを冷水に放って切ったら出来上がりです。簡単な作業なのですがその日の天候(気温など)大豆の種類、苦汁の濃さなどわずかな違いで出来た豆腐がまったく違ってきますので、日々勉強といった面があります。

豆腐製造業は今日決して成長産業ではありません。はっきり言って衰退しつつあります。おそらく10年もしないうちに昔懐かしい豆腐屋の味はなくなってしまうと思います。典型的な労働集約型の産業ですから、朝早くから晩も遅くまでの長時間労働ですし、水仕事のきつさもあって後継者が激減しているのです。しかしそれ以上に深刻なのは今の子供たちとその若い親御さんはスーパーの豆腐の味が豆腐だと思っているからです。いやに甘かったり、お菓子みたいなバラエティーものは正直言って豆腐とはほど遠いものです。本来豆腐は酒の肴によくご飯のおかずにも良い、他の食材の邪魔をしない控えめでいて滋味のある食べ物なのです。

これからの豆腐製造業は完全に二極分化していくと思います。それは昔ながらの製法を守る零細だが正直な町店と、スーパーなどの大手量販店相手の大規模工場の二者です。私としては、昔ながらの製法にのっとり、厳選された材料で昔ながらの豆腐の味を伝えていきたいと考えています。(正直言って現在はスーパー卸が仕事の8割方を占めています。)

3、私の商工会青年部活動

(1)寄居町の現状

青年部員として寄居町を見ると、特に市街地の商業の沈滞化が問題だと感じます。かつて寄居町は秩父への物資の中継地として栄えてきました。毎月4のつく日と9のつく日には市が立って賑わったそうです。これが六斎市といわれました。しかし、高度成長期を経て郊外に大型小売店舗がロードサイドに出店してくると、中心市街地への来街者数は激減、後継者はサラリーマンになってしまい東京通い、後継者のいなくなった店は次々に店を閉めて歯が欠けたように空店舗が目立つようになる。典型的な地方都市の商店街の様相を示しています。また観光産業はどうかというと、鉢形城址、円良田湖、中間平などの観光資源はあるが、それを観光産業にするまでには到っていなかった。しかし、最近は昭和61年に日本水・風布川が環境庁の日本名水百選に選定されたこと、(選定までには様々なエピソードあり)平成9年にオープンした日本初の河川系博物館・さいたま川の博物館、そして寄居町の中央を貫く荒川に焦点をあてて「水」をまちづくりのキーワードにするようになってきているのが現状です。

(2)   商店街活性化への取組

@昭和62年連続シンポジウム(研究開発委員会)

第一回寄居まちづくりシンポジウム「よみがえれ、よりいの商業」
第二回寄居まちづくりシンポジウム「めざそう!儲かる商店街づくり」コミュニティーマート構想を考える
沈滞する寄居の商業を復興させるために、どこに問題点があるのか、解決するためには何をするべきなのかを寄居町内外の識者を交えて討論しました。また当時寄居町、寄居町商工会が取り組んでいた中小企業庁の「コミュニティーマート構想」(地元中小小売事業者を中心にして、商店街を単なる買い物の場から地域消費者の総合的なニーズに応えることのできる、地域コミュニティーにおける中核的なアメニティー空間へとその機能を向上させ、中小小売業の活性化を図ろうとする構想)について熱く議論しました。

Aやるッ気祭り(ホップ、ステップ、ジャンプ)開催

時の研究開発委員長が考え議論するだけの活動に飽き足らずに、連続シンポの成果を実践できる場を作ろうとしたのがこの新しい祭り「やるッ気祭り」の開催でした。その名前の示すとおり「やるッ気」を喚起する祭りゆえに3回だけの限定開催としました。寄居町全体の商店街、農業青年会議所、4Hクラブ、学校等に広く呼びかけて実施し大きな反響を生みました。

B青年部広報誌の復刊

これまで1年に1回の発行で有名無実化していた広報誌を復刊しました。前述したやるッ気祭りの名前を採って「やるッ気通信」と命名し、2ヶ月に1回発行しました。話題の即時性、さらには外部に対して青年部の主張を発表する対外紙の特徴をもたせました。

(3)   寄居商業研究会

研究会の発足は古く、寄居町の若手商業者が自己研鑽のために先進事例を研究したり、現地視察をしたりしてきました。しかし、活動のマンネリ化からここ2,3年は休眠状態にありました。この状況に危機感をつのらせた現在の会長が、商工会の親会がホームページをつくるのをきっかけに、インターネットを使っての商売を研究してみようということになりました。ホームページビルダーを使ってのHP作成講習会の開催、バーチャルモール「六斎市」開設をして今日にいたっています。会員は呉服屋さん、お弁当屋さん、薬屋さん、酒屋さん、肉屋さん、とうとう様々です。しかし会員によって熱意の差があるのが現実です。中にはドットコムを取得して月平均100万の商売をしているものから更新さえままならず検索エンジンへの登録が出来ていない人もいます。合言葉は「ネットは市だ!」です。活動としてはオフ会として3月に1回のペースで戸板市を開催しています。イベント性を高めるためにコンサートや東京から移ってきた劇団(お伽座)によるインターネット紙芝居なども行っています。普段のイベントとは参加者の顔ぶれが違っているのが面白いですね。

4、寄居町の様々なまちづくり組織

(1)よりいふるさと懇話会

通称ふる懇が発会したのは昭和61年7月5日でした。そこにキーパーソンとしていたのは、神田充王氏と柴崎猛氏であった。二人は昭和46年に大学を卒業してふるさと寄居に帰ってきたUターン青年でした。ふたりは何処か自信を喪失したよりいの人々に失望し、何かしなくてはと様々な活動を始めた。それが「そつ啄会」であり「寄居夏期大学」の開催であった。そんな「手づくり」のまちづくりが、行政、地域経済団体、市民、いずれの垣根をも取り払った運動体へと「手ごたえの運動」へと結実していった。そこには「寄居をこよなく愛し、寄居に住むことに限りない誇りを持ち、われわれの子供たちに自信を持って残せるまちをつくろう」このコンセプトにみんなの思いが一致した。ふるさと懇話会では各自がそれぞれの夢の実現の担当者であり、そのために協力し合っていく組織としてふるさと懇話会があるのである。ふるさと懇話会の主な事業は、(はだしの散歩道)(寄居夏期大学)(カレンダーよりい季の色)である。ちなみに初代の会長が現寄居町長である。

 (2)あらかわめっせYorii21

昭和62年町民参加型の新しいお祭りがNHKで全国放映されるのを機に、寄居町のアイデンティティーは何かを真剣に議論し始めることになった。寄居町の地域の資源を掘り起こしていく中、水がキーワードになりそうだと、、、昭和60年に環境庁から全国名水百選に選ばれた「風布川・日本水」そして何よりも町の中央を流れる荒川は寄居町のくらしや文化や自然を古くから形作ってきたからです。

@イベント『あらかわめっせyorii21―水おこし、寄居おこし、人おこし』

昭和62321日に開催、永年、都市・地域開発を実践的に研究されている法政大学の田村明先生、日本大学の望月照彦先生をはじめ多くの有識者を迎えて、寄居の未来づくりについて議論し、貴重な提案がなされた。そして『名水サミット』では全国の百の名水を寄居町に一堂に集め、水を縁に名水市町村の交流も行った。

A『荒川博物館基本構想―企画案―』策定

昭和631月埼玉県に提案、埼玉県は荒川総合調査事業の集大成として、日本で初の河川系博物館の建設を計画していた。寄居町にとってこの博物館は将来的に重要な施設になると考えて、せっかくできるなら「古くなったら博物館へ」でなく「何度でも行って見たい、わくわくするような楽しい博物館」になって欲しいと考え企画案を策定した。提案内容は荒川流域の生活、文化を直接体験できる「生きた博物館」を構想して提案した。?荒川流域全体の博物資源の情報センター的機能を持たせたネットワーク型にする。?入館者の感性、感覚に訴え探検や体験、実験を大切にする。?遊びを展示や演出の基調にするなどの「理念」「展示プログラム計画」「施設・環境計画」「地域活性化計画」などの6項目を内容とした109ページの企画案を作成して埼玉県に提案した。平成9年8月「さいたま川の博物館」は開館。川の博物館は「あらかわめっせ」の企画案が随所に反映されたものになった。
イベントあらかわめっせyorii21を通じて集まったメンバーは「あらかわめっせyorii21」を結成した。主な活動は、・毎月一回の勉強会開催、・あらかわを媒介に諸団体との交流を図る。・川の博物館の支援事業などである。
特に平成3年8月に寄居町で開催された「第7回全国水環境保全市町村シンポジウム」への企画参加は大きな事業であった。

(3)寄居町にトンボ公園を作る会

平成元年に発足した当会は、トンボ公園作りを通して地域の自然を、里山の自然を保全するために活動している。この会を語るには、代表をつとめていた新井裕さんをまず語らねばならない。東京生まれの新井さんは小さい頃から昆虫が好きな子供だった。仕事の関係で熊谷市に住んでいた頃、よく寄居町にフィールドワークにきていたという。そこでトンボの種類の多さに驚くが、その一方でゴルフ場開発が進んでいくのを見て、これ以上自然を破壊してはいけないと、里山の自然の保全のためにトンボ公園作りを始めた。この運動に賛同する人が集まり会の結成へと発展していった。会の活動はとんぼ公園の整備を初めにホタル観察会、ザリガニ釣り大会などを開催している。会員数も含めて寄居町におけるもっともアクティブに活動する団体である。

5、最近考えること

(1)商店街と環境問題

1世紀は環境問題が大きなキーワードになる。これは様々な識者が言っています。その環境問題を商店街活性化のビッグチャンスにしようとしたのが早稲田周辺商店街です。そこには早稲田商店会会長・安井潤一郎さんという、本当にバイタリティー溢れるユニークなリーダー、仕掛け人がいた。1996年8月に「エコサマーフェスティバル」を開催しました。きっかけは夏枯れの大学周辺商店街で何かイベントをやろうということになって、環境をテーマに取り上げれば注目されるとの思いから「環境と共生、今早稲田から」というサブタイトルになった。そこでゴミゼロイベントにしようと様々な仕掛けを考えていったわけです。フリーマーケット、空き缶回収機の設置、生ゴミはコンポストにして安全な堆肥にし奥会津の町に送りそこの特産品を持ってくる。こんな試みをしたわけです。このイベントが契機になって「自分たちの町は自分たちで守ろう」という考えの元に早稲田いのちのまちづくり実行委員会の設立へと発展していったのです。

()中心市街地活性化法の施行

『商店街はよみがえるか』というNHKETV特集は興味深いものがあった。全国各地で中心市街地の空洞化が@自治体の税収の減少A地域の治安の悪化B高齢者の買い物不便C地域の伝統・文化の途絶などの問題を引き起こしている。この法律の施行に伴って全国で140の自治体が基本計画を出しているという。地域の商店街は@生活インフラ・社会インフラの機能A地域に個性が必要・アイデンティティーBビジネス面では空店舗が苗床になってくる。こんな機能を果たしてきた。
この法律に対しては13省庁が支援に150のメニューを用意し1兆円の予算をつけている。特徴は
行政は基本計画を作るが、実施するのはTMO(街づくり組織)Town Management Organizationだからこそ地元の組織の力が問われるのである。

国(13省庁)

自治体      街づくり組織(第3セクター、商工会議所)

  活性化事業
街づくり組織で大切なのはヒト、モノ、カネをどうするか。まさにマネジメント力が問われることになる。
市民革命(市民としての意識革命)

ABCDライン

               Administration(行政)

 

Business                Democrat
             (企業・商業者)   街     (公益法人)

           
                         Citizen(市民)

起街家(マチノベータ―)が必要になってくる。BCラインが重要になってくる。

平成13年寄居夏期大学に参加して。(トンボ公園会報2001年9月号)

平成13年寄居夏期大学

日時:平成13年8月26日(日)午後1:30
場所:寄居町中央公民館
講師:高畑勲氏(アニメーション映画監督)
演題:アニメ作品の中にたくされた監督からのメッセージ

 
昭和48年に始まった寄居夏期大学は今年で29回を数える。「知ることは愛することだ」のコンセプトのもとに寄居町に縁のある方、また寄居町の当面する諸課題に関係の深い方を講師に招聘して講演会を開催してきた。それゆえ寄居夏期大学は正にコミュニティーカレッジ(市民大学)であり、現在では寄居町の真夏の風物詩になっている。

 今年の夏期大学はアニメーション映画監督・高畑勲氏を講師に開催された。参加者は約300人強で最近の夏期大学のなかでは大盛況であった。世界に誇れる日本の文化の一つがアニメでありアニメーション映画である。高畑勲氏といえば宮崎駿監督と共に日本のアニメ映画の二大巨匠である。代表作はテレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」「じゃりン子チエ」映画では「火垂の墓」「おもいでぽろぽろ」「ホーホケキョとなりの山田くん」など多数である。高畑監督は65歳、東京大学仏文科を卒業後に東宝動画に入社。若くしてTVアニメ「アルプスの少女ハイジ」の監督を任されその時から宮崎駿氏との共同制作が始まったそうだ。身近で話を聴かせて頂くと本当に温厚で気さくな方であった。

講演の前半は記録映画「柳川掘割物語」を中心に人間と水とのかかわり方についての話であった。柳川は有明海に面した低湿地帯で縦横無尽に水路が走るまちである。しかし河川の最下流にあり決して水に恵まれた土地ではなかった。そのような柳川の住民が水とどう関ってきたかをおさえれば「人間と水とのかかわり方」のよりよい形が理解できると考えたそうだ。この映画は高畑氏本人が言うように単なる記録映画ではなく、まさに科学映画というべき代物であった。その観察眼は緻密かつ繊細で、あの昆虫記を記したファーブルを思い起こさせる。

そして後半はアニメーション映画についての監督の哲学を披瀝されていた。『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』まさにアニメの一時代を作ってきた作品を次々と世の中に送り出してきた。きらびやかで華やかな話が聞けるのかと思っていた。ところが、高畑監督は幾多の名作で子供たちを幸福にするファンタジーを作ってきたが、ある時期を境にこのような路線を拒否して独自路線を歩み始めたそうだ。「ホーホケキョとなりの山田くん」は興行的には成功しなかったが氏の主張がここに込められているという。監督はアニメ映画の功罪として、子供たちが非現実、空想のアニメの中で充たされてしまうことの危険性やいわゆる「トトロ中毒症」と言われるような何度も何度も映画を観ることで自然を体験しているつもりになってしまっている危うさを指摘していた。「人間フィルムの中に生きているのではない。」という言葉は痛烈であった。高畑監督は、常に現実社会から乖離してはいけない。日常世界に帰る事の重要さを訴えている。転じてトンボ公園を作る会の活動を見るならば、トンボ公園を作ることが最終目的ではなく、トンボに象徴される里山の自然を残してゆくことの大切さを住民の皆さんに知っていただく啓蒙活動だと思う。子供たちに池堀をさせたり、雑草刈をさせて現実にたくさんのトンボを呼び戻すことができる。こんな小さな自信の積み重ねこそ大切なのだ。私はそう感じた。

 『もののけ姫』を観てすごいと感じつつも何か違うのではないかと言った高畑氏。今年も宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』が大ヒットしてあの『タイタニック』を興行収入で抜きそうだと言われている。ますます巨大化するアニメーション映画業界ではあるが、高畑勲監督こそエンターテインメントに走るアニメ映画界における良識だと感じる。派手さこそなかったがしみじみと聞かせる講演であった。(記 あらかわめっせyorii21 大谷正典)