我が家のアルバム・5 昭和・2

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姉妹

小川高女

旗に埼玉県立小川高等女学校と読める、臨海学校か。昭和15年8月(皇紀2600年、すでに戦時色濃厚、贅沢は敵だ はこの年)。



中央、白いキャップが半兵衛長女、綾子:私の母である。


雀宮

雀宮下の河原、昭和17年(6月ミッドウェー海戦)。姉妹3人にて。









正喜橋


正喜橋S10

1935(昭和10年)4月、城山より正喜橋を望む。荒川左岸は雀宮、満開の桜が薄墨のよう。
右奥に東上線鉄橋、現在の森永跡地住宅はまったくの更地。

武町山車倉

吊り橋の正喜橋があったところ、映画館・銀映が在った武町正喜橋通り、今は武町の山車倉が建つ。



家族

小学校卒業

先代半兵衛の長女・綾子の小学校卒業写真、アルバムのキャプションには1932とあるが・・・?
綾子は2列目中央、乳母日傘の家付き娘とあっていい位置取りである。

小学校卒業3

バックの小学校校舎は建て直される前の、私も通った木造校舎。


稚児行列

稚児行列、前列左端に先代半兵衛の三女。1938(昭和13年)。

稚児姿

三女の稚児姿、次女のこのような写真が残されていないので、いまだに文句が言えるのである。


姉妹二組

1938年玉淀河原にて、半兵衛の姉妹と娘姉妹。
左端が川越にて嵯峨流の華道師匠、
左から2番目が女子師範を出ていて姉妹のホープ、このたび家族と満州へ渡る。
叔母、姪とも目じりに中島家の特徴がよく出ている。