中島さんこと、しんちゃんが運営するパビリオンで、七輪陶芸について知ったのは、私がインパク編集長になった5月のことだった。
「七輪で陶芸ができるの?」
陶芸はやりたい。しかし、窯はない。窯がある場所で陶芸をさせてもらうには暇がない。でも、もし七輪で陶芸ができるなら、我が家でもできるじゃ〜ん!単純にそう思ったのである。
あれから5ヶ月。再び、編集長に出戻った私の最初の仕事は、この七輪陶芸襲撃取材であった。 「ランディ編集長、七輪陶芸やりたいって言ってましたよね」 とインパク編集部の田中君が言う。 「うん、やりたいやりたい」 「じゃあ、オフ会を襲撃しましょう。 編集長、自ら七輪陶芸を体験して来てください」 「わーい、やるやる」
これで私も七輪を買って湯河原で晴れて陶芸家だわっ!と、るんるんしながら陶芸家を夢見る私。 「ところで、七輪陶芸オフ会はどこであるの?」 「パビリオン運営者の中島さんの自宅です。場所は……」 「場所は?」 「埼玉県の寄居です」
と、いうわけで、秋の晴天の日。私は神奈川県湯河原町から埼玉県寄居町に赴くべく、祝日で混みあった新幹線に揺られ東京駅へ。そして乗り換え池袋までやって来た。待ちあわせの10時に池袋に着くと、編集部の鶴見さんが待っていた。そして、鶴見さんとさらに東武東上線に乗ること約1時間半、やって来ましたよ寄居。うへー遠かったぜ。 六時起きして子供にゴネられやって来ました名水の里。
中島さんのところに着いた時にはすでに12時近かった。行ってみると、そこでは皆が黙々と粘土をこねて陶器を作っている。ひと足早く来ていた田中君と鈴木君は、もうぐいのみの形を作って、ドライヤーで土を乾かしていた。 (いいんかい、ドライヤーなんかで乾かして?) 形にした土は、確か一晩とか自然乾燥させるのでは……?いやいや、ここでは常識は通用しない。なにしろ七輪で陶器を焼くんだからね。
中島さんは寄居で呉服屋さんを経営している。呉服屋の若旦那である。呉服屋さんの裏のコンクリートのたたきが、七輪陶芸の、いうなれば窯場である。 「こんにちは〜、田口ランディで〜す」 と挨拶する。 「わーー、田口さんだ〜!私の友達がファンなんですよ」 えー?あなたはファンじゃないのね、がっくし。ま、しょうがない。友達がファンと言われることがやたら多いのだが、私って本当はファン少ないんじゃねぇか、と不安になりつつも、中島さんの七輪陶芸仲間のお二人からの歓迎を受けながら、手土産の日本酒を中島さんに差し出すのだが、すでに中島さんの目には「陶炎」がめらめらと燃えていた。
そうだ、私は今日は命をかけて七輪陶芸の極意を習得して帰ろうと決意して来たのだった。のんびりしちゃおれん。
「中島さんっ、私も焼けますか?」 私の熱意にびびりつつも、中島さんは「もちろんですよ、ハイ、土をこねて!」と一握りの陶芸用の土を渡してくれた。おおっ、この土に命を吹き込むのだな。 なんでもこの土は信楽焼に使われる土だそうだ。
その土を、DMハガキの上に載せる。そして、ハガキを回転させながら土をぐいのみの形に整形していくのである。ううむ、なんという金のかからない、実用的な陶芸なのだ。さすが七輪陶芸、と感心しつつ、私は全身全霊で手元の小さな土を、植木鉢の形にこねあげた。
そう、みんな、ぐいのみを作るのだが、私は最初からミニ観葉植物用の植木鉢を焼くことにしたのだ。だって、それなら失敗して水が漏っても平気でしょ。ふっふっふ。 植木鉢なら水が漏れて好都合。自宅の野草を自分で焼いた陶器に植えて、机の上を飾ろうという魂胆なのだった。 やっぱ、私の大好きな岡本太郎チックに縄文をイメージしちゃおう。そんでもって、顔なんか柄にしちゃって……。
次第に私は陶芸の世界に没頭していく。そして、出来上がった植木鉢に、内心こっそりと「縄文顔面鉢」と名付けた。ううむ。力作だ。
しかし、この「縄文顔面鉢」本当に七輪で焼けるのだろうか? 不安に思って中島さんを見ると、中島さんは大量の炭を砕いて、七輪にくべ始めていた。なんとっ、やはり、本当に七輪で焼くつもりなのだわっ。わくわく。
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