
土と火でやっていること・七輪陶芸などに
「七輪陶芸のこと 320 小壺を焼いた」
をアップデートした。
「橘花抄」 著 葉室麟
<南方録>は重根が発掘した茶書である。題名は唐の陸羽が著した<茶経>の一節、
茶者南方之嘉木也 からとられた
「茶の心と申しますと?」
峯均の問いに、重根は和歌を口にした。
花をのみ待つらむ人に山里の雪間の草の春を見せばや
壬二集の藤原家隆の歌である。<南方録>では、茶人武野紹鴎が侘び茶の心として新古今和歌集の藤原定歌の
見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕ぐれ
をあげたのに対して、利休は家隆の歌を加えたとしている。
先代半兵衛の長女・綾子の小学校卒業写真、アルバムのキャプションには1932とあるが・・・?
綾子は2列目中央、乳母日傘の家付き娘とあっていい位置取りである。
バックの小学校校舎は建て直される前の、私も通った木造校舎。
我が家のアルバム・5 昭和・2
土と火でやっていること・七輪陶芸などに
風布で本焼きのこと No.22 覗き唐子のマグカップを焼いた。
をアップデートした。
「蛻」 著 犬飼六岐
○宗春公は三代藩主綱誠公の十九男、いや、二十男か、とにかく部屋住みの庶子から
奥州梁川三万石松平義真公の跡を継ぎ、ついには尾張六十二万石の七代藩主の地位についた。
その間に四代吉通公、五代五郎太公、六代継友公の三人の藩主が死去するという、
尾張家を襲った相次ぐ不幸が乗せた玉の輿である。
○ところが、宗春公は享保十六年の初入国と同時に、いきなり在国の藩士や領民を仰天させた。
供奉する一行に華やかな衣装を着せ、藩主みずからも鼈甲の唐人笠に、墨を浴びたような黒装束、
金糸で飾り立てた虎の陣羽織をまとい、大名としては異例の騎馬姿で城入りして見せたのだ。
○これはただのお祭り騒ぎではなく、将軍吉宗公が推し進める御改革や、
それに追従してきた旧藩政にたいする痛烈な批判でもあった。
宗春公は御改革の厳しい法治政策や倹節重視の財政再建策を採らず、
規制を緩和する開放政策によって停滞した領国経営を一新しようと考えていた。
藩主自身が前代未聞の派手な姿をすることで、その決意を領内どころか天下に知らしめたのである。
このところ食欲が出てきていて、排便の状態も良い(しっかり良い形)。
嚥下の収まりが悪いのは相変わらずだが、
体重は増えなくても体力的に一歩前進の感がある。
と言うことで、10ヶ月ぶりに七輪陶芸を実施。
その様子は「土と火でやっていること・七輪陶芸など」に
「七輪陶芸のこと 318 三耳壺を焼いた。」
をレポートとして、アップデートした。
消防分団幹部旅行、横浜・龍田丸。昭和12年。
冊子「火災出動の控」によると、昭和9年1月24日未明、男衾村今市で大火があった。
寄居消防団二部(中町)は23名が出動、鎮火にあたった。
我が家のアルバム・4 消防団
消防分団幹部旅行、江ノ島。昭和12年。
座っている中央、前から3人目が祖父・先代半兵衛(尚一郎)。
昭和30年(1955)2月、一町四カ村が合併し寄居町が誕生する以前より
自治組織として祭りの運営に携わる地域・地区にはそれぞれ消防団が存在した。
「二部」とはその中町地区をあらわす。
合併後はより大きな地域消防団に改組され、現在寄居町には七つの分団がある。
東日本大震災では住民の避難誘導などにあたった消防団員が各地で命を失った。
岩手、宮城、福島三県の死亡・行方不明者は二百五十三人。
住民を守ろうとした行動が称賛される一方、仲間を失った団員は
「なぜ、これほど多くの犠牲を払わなければいけないのか」という思いが消えない。
もっと仲間の命を守りながら、住民を助ける方法はなかったのか。
ただ、使命感に突き動かされた団員の行動を知るほど、答えも出ない。
消防団
消防組織法に基づき各市町村に設置され、地元住民で構成する。
団員は非常勤特別職の地方公務員となる。
常勤の消防署員と連携して災害対応や啓発活動をする。
報酬は年間数万円、1回の出動手当が数千円程度で、団員の奉仕精神で成り立っている。
| 中島尚一郎 関口芳一 清水佳 津久井保二 内山友蔵 湯本基次 新井音冶 布施喬太郎 佐藤吾一 |
大沢次郎 中島袈裟吉 町田盛太郎 島田良助 吉田実 |
稲葉吉次 中島茂 曽根乙己 増田七之丞 柴田勇吉 |
市川嘉市 上田光五郎 若林完治 酒井豊 長谷部金蔵 町田三郎 |
白石勝三郎 奈良半次郎 升間進次 北浦治平 葛岡一郎 30名 |
我が家の家族写真、昭和8年。
左から岩手・北上へ行った大叔母とその主人、曽祖父と曾祖母、
川越・仙波へ行った大叔母、祖父尚一郎(先代半兵衛)、小川へ行った大叔母。
前列・祖父尚一郎の娘3人、左から行田(後熊谷、現在浦和)の叔母、小川の叔母、
家の跡取りをした私の母。
場所は、後ろに写っている小さい社から、
戦時中事情があって手放した離れの庭と思われる。
我が家のアルバム3、昭和の家族。
「御隠居忍法」 著 高橋義夫
鹿間狸斎は朝から落ち着きがなかった。庭に下りて用もなく歩きまわるかと思えば、
座敷に上がって書見をはじめ、すぐに飽きて愛猫の玉を呼ぶ。
玉が歩み寄って甘えて頭を狸斎の膝にこすりつけると、
邪険に小突いて追いやる。
狸斎が身の回りの世話をさせているおすえが、その朝女子を出産したのだった。
孫よりもまだ若い子を持つことになったのである。
狸斎は照れかくしに唇を固く結び、
難しい顔をして短く刈り上げた頭のてっぺんを撫でた。
「香菜里屋を知っていますか」 著 北森鴻
恐ろしく古いポートレートだった。
真ん中で魅力的な若い女性が笑っている。
その右横にいるのは、若かりし日の工藤哲也。左横には香月圭吾。
裏を返すと、簡単になぞった中央の肖像の輪郭に、香菜と書かれている。
「もしかしたら圭吾さん。香奈里屋って、あの」
香奈里屋は、香奈ちゃんが帰るべき古里、という意味でつけられた屋号なんだ。
※書下ろされた最終章には、雅蘭堂・越名集治、冬狐堂・宇佐美陶子、蓮丈那智が出演。
久しぶりに土と火でやっていること・七輪陶芸などに
風布で本焼きのこと No.21 備前一輪挿しと取り皿を焼いた。
をアップデートした。
昭和8年、玉淀遊船。右から二人目が先々代中島半兵衛(曽祖父)。
鉢形城址を望む荒川の両岸が「玉淀」と呼ばれるようになったのは、昭和6年頃からである。
花もよし 月影もよし 夏もよし 雪景色よき里は玉淀
ここは名を負ふ埼玉の たまの寄り来る玉淀は かしこかれとも 日の御子の
みまこの御子のひとたびは み船を浮べ愛でましし
いともたふときそのかみの 大きゆかりを仰がなむ
かしこさに浪もさわがず 瀬もたたず いまもよどめり 玉淀の水
かくもめでたき玉淀の 花をや狩らむ月や見む ああたまよどの淀のうるわしさ 啓山
さて、曽祖父中島半兵衛に関して、他家の方から聞かされた都市伝説とも言うべき話があるのだが、
知りたい方は↓をクリック。
我が家のアルバム、昭和の家族。
「まねき通り 十二景」 著 山本一力
深川冬木町は材木置き場をいくつも抱え持った、深川でも大きな町だ。
隣町との境目は仙台掘である。
木場を間近に控えた冬木町は、材木商の町でもある。
富岡八幡宮につながる大通り両側には、材木商と銘木商が軒を連ねていた。
冬木町は自前の火の見やぐらを構えている。
火の見やぐらの先には「まねき通り」が東西に走っていた。
道幅は三間(約5,4メートル)で、町場の通りとしては幅広である。
玉淀に船を浮かべて、昭和8年ごろ。
右後方に御万ヶ淵、左後方に吊橋の正喜橋、その下に饅頭岩が見える。
中央、詰襟制服姿の右手前が、先々代半兵衛(曽祖父)である。
我が家のアルバム、昭和の家族。
我が家の家族写真、昭和4年ごろと思われる。
場所は不明、灯篭があって、外灯があり、左奥には高い塀が見えている。
塀の外に欅が見えるところは玉淀付近ではない。
後列左より、祖父・尚一郎(先代・半兵衛)、川越より来た曾祖母、
小川へ行った大叔母、曽祖父・先々代・半兵衛。
右端は羽生より来た尚一郎嫁(三女をなして早世)。
三女の左から、長女・わたしの母、次女・小川在住、抱かれている三女・浦和在住。
我が家のアルバム、昭和の家族。
5年に1度の「動物愛護法」の改正の時期、
世界で何番目の経済大国とか言ってる日本は、
動物との関係においては、相当に遅れた国です。
ルール改正に、環境省が意見を求めています。
犬や猫に癒されたり助けられたりしている人だけでも、
ちょっと動物たちを生きやすくする
お手伝いをお願いします。
これも、締め切りが近づいてきているので‥‥。
・「イーさん」という名前の犬がいます。
推定される年齢は10歳ということですが、
もっとずっと若いかもしれないとも聞きました。
犬種は「キャバリア」で、たぶん純血種でしょう。
『福島の特別な夏。』にも登場している友森さんが、
「愛護センター」から引き取ってきたわんこです。
なんだか目は飛び出しているし、
舌が口からべろーんと出っぱなしで乾いてます。
「べーってしているけれど、
ふざけてるわけじゃないよ」と、
ブログで紹介されていたこともあります。
ずいぶん変な、マンガみたいな顔なのです。
ぼくは、「イーさん」がある程度元気になってから、
二度ほどあったことがありますが、そのときは、
少し舌を引っこめたりもできかけていました。
友森さんが、ずいぶんかわいがってたみたいだから。
「愛護センター」でも、
「イーさん」のような極端にボロボロの犬には、
なかなか里親希望者もつかなかったようです。
友森さんの周囲の人たちも、さすがに
「イーさん」を見たときには、
けっこうびっくりした、という話も聞きました。
どうして、「イーさん」がこんな身体になったのか。
「イーさん」は、何度も何度もくり返し仔犬を産まされて、
歯も毛も抜け、筋肉の力もなくなってしまったのです。
「繁殖マシーン」のように扱われ棄てられた犬なんです。
そういうわんちゃんが、現実にいるんですよね。
よくなるにも、悪くなるにも、「イーさん」は、
ずっと人間の思うままに生かされていたんですよね。
犬や猫って、じぶんの運命を決められないからね。
ぼくは、すべてのペットショップが悪いとは思いません。
ただ、悪いショップや冷酷なブリーダーがいて、
それが闇に隠れられるような社会のしくみは、
犬や猫のためにも、人間のためにも、
変えていきたいものだと思っています。
そして、そのことに期待と希望を抱いているところです。
どうぞ、『犬と猫と人間のはなし。』をごらんください。
推定される年齢は10歳ということですが、
もっとずっと若いかもしれないとも聞きました。
犬種は「キャバリア」で、たぶん純血種でしょう。
『福島の特別な夏。』にも登場している友森さんが、
「愛護センター」から引き取ってきたわんこです。
なんだか目は飛び出しているし、
舌が口からべろーんと出っぱなしで乾いてます。
「べーってしているけれど、
ふざけてるわけじゃないよ」と、
ブログで紹介されていたこともあります。
ずいぶん変な、マンガみたいな顔なのです。
ぼくは、「イーさん」がある程度元気になってから、
二度ほどあったことがありますが、そのときは、
少し舌を引っこめたりもできかけていました。
友森さんが、ずいぶんかわいがってたみたいだから。
「愛護センター」でも、
「イーさん」のような極端にボロボロの犬には、
なかなか里親希望者もつかなかったようです。
友森さんの周囲の人たちも、さすがに
「イーさん」を見たときには、
けっこうびっくりした、という話も聞きました。
どうして、「イーさん」がこんな身体になったのか。
「イーさん」は、何度も何度もくり返し仔犬を産まされて、
歯も毛も抜け、筋肉の力もなくなってしまったのです。
「繁殖マシーン」のように扱われ棄てられた犬なんです。
そういうわんちゃんが、現実にいるんですよね。
よくなるにも、悪くなるにも、「イーさん」は、
ずっと人間の思うままに生かされていたんですよね。
犬や猫って、じぶんの運命を決められないからね。
ぼくは、すべてのペットショップが悪いとは思いません。
ただ、悪いショップや冷酷なブリーダーがいて、
それが闇に隠れられるような社会のしくみは、
犬や猫のためにも、人間のためにも、
変えていきたいものだと思っています。
そして、そのことに期待と希望を抱いているところです。
どうぞ、『犬と猫と人間のはなし。』をごらんください。
何度も何度もくり返し仔犬を産まされて、
歯も毛も抜け、筋肉の力もなくなってしまったのです。
「繁殖マシーン」のように扱われ棄てられた犬なんです。
すべてのペットショップが悪いとは思いません。
ただ、悪いショップや冷酷なブリーダーがいて、
それが闇に隠れられるような社会のしくみは、
犬や猫のためにも、人間のためにも、
変えていきたいものだと思っています。
そして、そのことに期待と希望を抱いているところです。
どうぞ、『犬と猫と人間のはなし。』をごらんください。
http://www.1101.com/george/2011-08-19.html
昭和9年1月23日。
例の潜在するハゲの三徳を高唱して
光輝燦と「光頭大会」が関東の勝地秩父長瀞に産声を上げてからやがて満三年、
年と共に増す頭の光沢をいとしがって会員諸君が
今年度の「優光特頭賞」をと頭磨きのトレーニングに余念の無い昨今、
はるか欧州の一角から此の連中をやんやと喜ばせる年賀状が届いた。
送った主は昨年夫人同伴で日本を訪れたフランスの一流新聞プチ・ジュルナール紙の
漫画家オスカー・ファブレス氏だ。
光頭会の連中を更に喜ばしたのは
同封してあったオランダ、アムステルダム発行の一新聞の切り抜き、
ファブレス氏の寄稿で氏の手になる漫画を見出して
一同光頭大会の世界的進出にむしろ驚いた、
そして「光頭に国境なしか!」と気をよくしたものだ。
我が家のアルバム、光頭会。
昭和8年5月7日、長瀞、舟下り。
右から2・3人目がフランス大衆紙「プチ・ジュルナール」よりの特派員、漫画家:オスカー・ファブレス夫妻。
左から3人目が我が家の先々代、中島半兵衛、曽祖父である。
長瀞へ着いて見ると、若葉の森に囲まれた丘の上に非常に古い木造の社があった。
その建築の軽快な均整と、白木の彫刻と、一切唐風の影響を受けないところが、余にはひどく気に入った。
同じ社でも日光のそれは余の趣味から言うと少し豪華の誇りが強すぎて、これの清純なるに及ばない。
兎に角金に飽かせても幸せを買うわけには行かぬもの、殊更芸術の領域では然うである。
長瀞の社こそ、素朴なハイカラ味があって、若葉の燃え立つ森の魂とぴったり添った美しさがある。
それから、それこそ版画にあるような風光の中で昼飯を摂り、
皆して奔流のうづまく渓流へ出て舟遊びと洒落た。
方々の岩の上に、カメラを弄ぶ人たちが多勢いて、余等の軽舟を見かけては、一身にレンズを合わせる。
それも此方から見れば、よき眺めの一つであった。
快き一日を終わって東京へ戻った余等は、
露出した頭のいただきが日焼けしていつもよりは一段と光芒を増した事だったが、
相見互いに心の愛の通う禿頭の人々こそ、夢ならぬ国際交歓のユートピアを実現すると思えた。
若しそれ余に至っては余も亦光頭の一人として、また新聞人として、
此の好意ある人々の国と余の祖国との間に立って、
痩せたりと雖も立派に両者の緊線と成らん事を、心ひそかに盟った。
余は今後、あらゆる機会を取って、
余が今は深くも愛する日本の眞面目を伝えようと思う。
この項、続く・・・
「直ちに健康に影響する数値ではない」の嘘
「七万人が自宅を離れてさまよっている時に国会はいったい何をやっているのですか」。
火を吐くような気迫に衆院委員会室は静まり返った。
先週、厚生労働委員会に参考人として呼ばれた東京大アイソトープ総合センター長の児玉龍彦教授の発言だ。
(16分かかりますがぜひご覧ください!)
教授の試算は衝撃的だった。
福島第一原発の事故で漏出した放射性物質は広島原爆の約二十個分。
一年後の残存量は原爆の場合、千分の一に減るが、原発から出た放射性物質は十分の一程度にしかならないという。
福島県南相馬市で自らが手掛けている除染活動を通じ、内部被ばくから子どもを守ろうとする責任感が伝わる発言だった。
国会の怠慢を厳しく批判する先には、動きがあまりにも鈍い国への憤りがある。
細野豪志原発事故担当相は日本記者クラブでの記者会見で「除染作業こそ国家的プロジェクト。
福島の皆さんに希望を持っていただける」と語っている。
今後、除染作業が兆単位の公共事業になるのは間違いない。
児玉教授は、民間の技術を結集し直ちに国の責任で除染研究センターを設置するよう求めた。
避難住民を無視した利権まみれの公共事業にしてはならない。
「人が生み出した物を人が除染できないわけがない。
福島におけるセシウム除染は、次の世代への日本の科学者の責任である」。
教授は医学雑誌にそう記した。学者の良心に希望を感じる。
東京新聞、8月1日、コラム。
「たどりそこねた芭蕉の足跡 八州廻り桑山十兵衛」 著 佐藤雅美
古河市は茨城県の西のはずれにある。江戸時代は下総の国葛飾郡に属した。
下総の国というと千葉県で、古河市も明治のごく初期は千葉県だった。
新治県という県があった。明治八年にこの県が茨城県と合併し、
古河市(当時は町)はそのとき千葉県の四郡などとともに茨城県に編入された。
茨城県というと常陸国である。
だからやはり、古河市が茨城県というのは今でも奇異な感じがしないでもない。
昭和8年5月7日、長瀞、岩畳。
左から3・4人目がフランス大衆紙「プチ・ジュルナール」よりの特派員、漫画家:オスカー・ファブレス夫妻。
右から3人目が我が家の先々代、中島半兵衛、曽祖父である。
長瀞行きの汽車の中。余は二つの悦びに浸ったのだった。
第一は窓外の晩春の眺めだ。
それは野生のつつじで甘い匂いが沸き立っていた。
それから、後にも先にも三等車ばかりで、気取る奴もなければ決して礼儀も失わず、
一種家族的な安逸があった。
此の味だけは、世界中何処に行っても見出せまいと、
腹の中で実に嬉しかった。
それに余等の外にも郊外へ押出す連中が多く居て、
旗や幟を立てて賑々しく、各自が色々の首巻きをして、景気よくやっていた。
それに立ちまじって、ほほ笑ましくも燦と禿げわたれる余等の一行互いの心は心に相通じ
神寂びた今日の行程を早くも車中から楽しむのであった。
「安土城の幽霊 『信長の棺』異聞録」 著 加藤廣
二度の焼け物「つくも茄子」は藤重家の家宝、東照大権現宮拝領として末永くいき続けた。
時は流れて明治維新。
つくも茄子は、三菱財閥の創始者岩崎弥太郎の弟の弥之助の所有となった。
現在の「つくも茄子」は、岩崎家の蔵品を展示する静嘉堂文庫美術館に、
当時、藤重が作ったと思われる蒔絵箱に、ひっそりと収まっている。
右から5・6人目がフランス大衆紙「プチ・ジュルナール」よりの特派員、漫画家オスカー・ファブレス夫妻。
左から3人目が我が家の先々代、中島半兵衛、手にしたうちわに「光頭」の字が見える。
長瀞、宝登山神社境内。
御神灯と電球の結婚、これがそもそも日本の文化の到達点であるべきだ。
美と実益との結合は、何人をも首肯させることだから。
それは兎に角、純なる自然美を見出すにはどうしても都心を離れなければならないから、
余は滞京中にせめて一日は田舎に行って、
日本味百パーセントの人たちと遊び暮らそうとの願望を抱いていた。
・・・東京に光頭会なる大きな禿頭クラブがあって、その面々が、
はるばる巴里から来てボツ然と露頂を光らせている余を誘い、一日清遊を試みようと言う、
サン然たる思い付きをしてくれたのである。
♪いろはに金平糖、金平糖は甘い、甘いはお砂糖、お砂糖は白い、
白いは兎、兎ははねる、はねるはバッタ、バッタは青い、
青いはオバケ、オバケは消える、消えるは電気、電気は光る、
光るは親父のハゲアタマ♪
ガキのころ唄ったもんです(多少記憶と違う点もあるが)。
禿げの人に中には、どうせならとことん光らせてやろうと、
生卵を塗って毎日艶出しにハゲんだ人もあるようですが、
こんな旗の下に集まった人たちがいた。
我が家のアルバム、光頭会。
アルバムのキャプションには、「昭和6年7月12日、光頭会富山県大会」とある。
「関東光頭会埼玉支部」という仰々しい旗を持って、
支部の幹事代表として参加したときの写真らしいが、
埼玉支部の正式発足は調べたところ、まだ翌年を待たねばならない。
でまた、なぜ富山県大会に参加したのか?
ウェブ・サーチしてもその辺の事情は浮かんでこない。
7月3日(日)
我が家のアルバム、大正編リニューアル。
我が家のアルバム・シーズン2に移行する前に、
今までのページが余りにも見難いのではないかと、
画像を修正し作り直しました。
6月14日(火)
川越中学、伊勢神宮参拝。昭和6年頃。
前列左より6人目が、中島尚一郎:後に襲名して十四代中島半兵衛となる。
寄居尋常高等小学校より、川越中学校へ進学。
本人の母(私からは曽祖母)の実家が、川越であったためと思われる。
その実家というのが、敷地内にトロッコ線が敷設されていたとか。
その母の嫁入り時の打掛が、日本橋三越謹製であるとか。
その母本人が、寄居になんぞ嫁に出されたのは自分が不器量だからだと、生涯こぼしていたとか。
葉室麟
「実朝の首』は実朝の死から始まる。
実朝は右大臣任官の式典が行われたその日に、甥の公暁に暗殺され、首を持ち去られた。
公暁は豪族の三浦義村や幕府執権の北条義時に唆され、自らが将軍となることを夢見て実朝を襲ったのであるが、
所詮は駒にすぎず、義村に殺されてしまう。
その最中に、公暁に仕える弥源太が実朝の首を持ち逃げし、さらに武常晴という武士にその首を奪われてしまう。
弥源太は常晴に連れられて波多野忠綱の廃れ屋敷まで同行することになり、先の和田合戦で大暴れした朝夷名三郎と出会う。
そこへは謀反人として幕府に討たれた和田義盛の嫡孫・和田朝盛たちも現れ、和田党の砦の様相なのだ。
6月6日(月)
中島呉服店店舗新築披露、大正6年5月15日。
明治末の寄居の大火で失われた店舗の新築がようやくなったところ。
中央暖簾の「中島」のロゴを背負っているのが、先々代:中島半兵衛。女の子は一男三女があった末娘ではないか。
両脇は羽織を着ているので番頭さんと思われる、特に左は白足袋が見えるので大番頭さんか。
看板に見える「電話5番」は呉服屋に因んでの5番で、現在に至る。
この建物は戦後表面を看板建築に囲われたが、現在でも表通りからこの大屋根を見ることができる。
目釘は刀の命じゃよ。
ほんの少しでも弛みがあれば、思うように人は斬れぬ。
だからわしは、しばしば目釘を新しいものに替えて、
いつもぴたりと合うように鑢がけを怠らなかった。
茎(なかご)は血腐れがしてしまうゆえ、放っておけばきっと目釘が合わなくなるのだ。
「一刀斎夢録 上・下」 浅田次郎
目釘を抜いて柄をはずすと、時代を経た錆の臭いが生ける呼気のごとくに立ち昇った。
刀身に錆を生じさせてはならぬが、茎(なかご)の錆は刀の貫禄である。
目釘穴はひとつ。磨上げてはいない生ぶの茎である。
慣れた手つきではばきを通し、柄に収めて目釘を差し込んだ。
「拵えはしっかりしている。目釘を鉄に替えるだけで人を斬れるな」
鞘口に切先を当て、ゆるりと棟をすべらせて収めた。
鞘引きというわずかな傷をつけぬための、納刀の作法である。
5月29日(日)
寄居小学校開校式、大正4年。
私が通った当時(昭和30年代後半、東京オリンピックの頃)もこの木造校舎だった、その校舎の開校式。
画像が鮮明でないので判り難いが、国旗の左側、開いた窓をバックに最後列に立っているのが、
我が家の先々代:中島半兵衛。
子供の頃から聞かされた我が家に伝わる口伝によると、
文章として残されたものはないのだが、エピソードに事欠かない人物であった。
普請道楽という面があったらしく、
この小学校も工事中は毎日顔を出し、使う材木について口を挟んだとか、
雀宮に在った松本幸四郎の別宅建築にからんだり、
玉淀の佐々紅華の別宅(現・京亭)建設の折には、
我が家の離れの庭から枝振りのよい松を運んだそうだ。
5月25日(水)
寄居町尋常高等小学校卒業式、大正3年3月24日。
当時の寄居小学校は極楽寺で開校されていた。卒業生は50名余。
前列中央、ホイワイトカラーにネクタイ、黒スーツの先生の一人置いて後ろ、
画像の顔に傷があるのが、我が家の先代:中島半兵衛(この時点での幼名:尚一郎)、私の祖父に当たる。
幼少時には病弱であると爺やがつけられていたとか、
青年時にはやんちゃが過ぎて川越のお寺に預けられたとか、
しかし孫である私にとってはしつけの厳しい祖父であった。
5月23日(月)
宗像神社拝殿竣工記念写真。
明治末年か大正初頭と思われる。
前列中央の神主姿の方は、生前の藤田薫先生に確認したところ、先生のお父上と判明。
3列目左から3人目、ちょっと頭抜けているのが我が家の先々代:中島半兵衛。
4月25日(月)
「風布で本焼きのこと No.20」をアップデート
備前竹花活けと取り皿を焼いた。
猫の餌皿も焼けた。
さて昨夜の即日開票であるが、
意外なことにテレ玉の選挙速報・地デジのデータ放送が役立った。
開票場における、立会人と見学者のブロックサインによる開票速報と
さほど変わらない早さであったようだ。
結果は、最小自治単位である町内会推薦候補は当選。
商工会青年部員三名も無事当選。
お疲れ様でした。
4月20日(水)
三代目大谷鬼次の江戸兵衛
大判錦絵 寛政六年五月
アメリカ・メトロポリタン美術館蔵
特別展「写楽」が東京国立博物館平成館で開催される。
期間は5月1日より6月12日まで。
当初4月5日から5月15日の開催予定だったが、震災の影響で変更になった。
チケットは手に入れてあるので、会期変更はありがたい。
4月11日(月)
子供がとんでもなくハイスペックのPCを購入してこれまでのPCを放り出した。
例によって、お古でも使えるものは使う。ましてお古といっても今までの私のPCよりも新しい。
ただしそのままではまともに動きそうもないので(使い方が荒っぽかった)、
PCドクターに依頼して、お古PCの初期化とデータ移行を行った。
昨年から企画していたのだが、入院とドクターのスケジュールで今日に至ってしまった。
この機会に、「デイリー・コメント:陶芸、七輪陶芸に関して、もしくはその他今日したこと」 は、
「ブログ 七輪陶芸の12年 今日の雑感など」 このページに移行することにした。
当面「七輪陶芸の12年 その1 」から12年間の流れをダイジェストでご紹介いたします。
それぞれのレポートへのリンクが切れていたのも修復しました。
ダイジェストでないレポートに関しては、
「La Mer La Terre et Lu Feu しんちゃんの海、土と火、七輪陶芸と水中写真」 私のHPのトップページ から、
「土と火でやっていること・七輪陶芸など」 でリンクしています。
4月6日(水)
暖かくなってくると、部屋の中にいても花粉症の症状がでる。
明日は免許書き換えに出かける予定。
4月5日(火)
ブログの研究中。
リンクボタンの転送がうまく行かない。
咳の発作から吐き気がして夕食は食欲なし。
4月4日(月)
PCのバージョンアップの連絡待ち。
BBSをブログに換えようとやってみているが、中々うまく行かない。
是も先生頼みである。
4月3日(日)
咳の発作が実は軽減されていなくて。昨日は夕食が進まない。
カレイの煮付けに箸をつけた程度。
犬の散歩などで外へでると寒いのが効いてしまうようだ。
花粉症も、鼻水が止まらない。
4月2日(土)
増量された利尿剤は、さすがに少し効き始めたようで、
心なしか咳の発作が軽減されつつあるような気がする。
図書館と本屋へ読む本を探しに行ってきたが、少し動くと結構応える。
しっかり食べられないのが辛い。
昨夜はほうれん草干しエビ餃子と中華スープ、昼食はその残り。
4月1日(金)
免許書き換えの際の住所変更のため、役場で住民票をとる。
計画停電中だと、免許写真の撮影が出来ないと言うことで、
証明写真を準備。

箱や袋の中が好きな猫。昨夜のメニューは目刺し。
3月31日(木)
群大病院外来受診、
前回投与された利尿剤の効果が薄いので、増量して効果を見る。
二週間後再受診。
孫引きになりますが、ウェブ上で削除される前に転載。
原発事故の報道に強烈な居心地の悪さを感じている。
その理由を突き詰めていくと、メディアが安易に使う「想定を超えた」という言葉のせいだと思い至る。
眼前で今起きている事態は本当に想定外だったのか。
《最大の水位上昇がおこっても敷地の地盤高(海抜6m以上)を越えることはないというが、
1605年東海・南海巨大津波地震のような断層運動が併発すれば、それを越える大津波もありうる》
《外部電源が止まり、ディーゼル発電機が動かず、バッテリーも機能しないというような事態がおこりかねない》
《炉心溶融が生ずる恐れは強い。そうなると、さらに水蒸気爆発や水素爆発がおこって格納容器や原子炉建屋が破壊される》
《4基すべてが同時に事故をおこすこともありうるし(中略)、
爆発事故が使用済み燃料貯蔵プールに波及すれば、
ジルコニウム火災などを通じて放出放射能がいっそう莫大(ばくだい)になるという推測もある》
すべて岩波書店の雑誌「科学」の97年10月号に載った論文「原発震災〜破滅を避けるために」から引いた。
筆者は地震学の権威、神戸大の石橋克彦氏。
つまり今回起きたことは、碩学(せきがく)によって14年も前に恐ろしいほどの正確さで想定されていたのだ。
石橋氏はその後も警鐘を鳴らし続け、05年には衆院の公聴会でも同様の警告を発している。
電力会社や原子力の専門家たちの「ありえない」という言葉を疑いもせず、
「地震大国日本は原子力からの脱却に向けて努力を」との彼の訴えに、
私たちメディアや政治家がくみしなかっただけなのだ。
3月30日(水)
コーラスグループ・ゴスペラミューの代表者でもあり、
須恵の会の会員さんである方からメールをいただいた。
HPでも隠していらっしゃらないので、そのまま転載。
松葉美保です。
Song For Hope ─希望のうた─」というプロジェクトに参加しました。
歌や音楽が街を日本を元気に出来ればと願います
1曲ダウンロード200円が義金として被災地に納められるます。
今回のこのプロジェクト用に1曲書きました。
『光の華』という曲です。
ちゃんとしたレコーディングじゃないし花粉症で喉ボロボロなんで苦しそうに歌ってますが
良い歌詞ができたと思います(^o^;)
皆様の元気を歌で応援できればと思います。
Song For Hope URL http://song4hope.net/
それと、松葉美保の曲は〓http://song4hope.net/mihomatsuba
是非、想いの詰まったアーティストさん達の楽曲を聞いてみてください。
プルトニウムの検出について
「健康影響は考えられないが、燃料棒の損傷があることを示している。
放射性物質が漏れないようにする(原発に)あるべき五重の壁が破れたことを示す。
憂うべき事態だ」
暑い国の象や広い海の鯨
滅びゆくかどうか誰が調べるの
原子力と水と石油達の為に
私達は何をしてあげられるの
薬漬けにされて治るあてをなくし
痩せた体合わせどんな恋をしているの
地球上の酸素、窒素、フロンガスは
森の花の園にどんな風を送ってるの
今 あなたにGood-Night
ただ あなたにGood-Bye
井上陽水、『最後のニュース』 より
3月29日(火)
思い立ってPCを事務所から自室へ引越し。
有線LAN環境は完備していたので、マイネットワークでインターネット接続。
HPを少し整理して、ブログの導入を図ることにする。
手始めとして、「入院日記」をまとめてトップページにリンク。
3月28日(月)
ほぼ日で紹介されていた。
被災地で働いた看護師さんの日記。
やっぱり疑問。
北関東以北は葉物野菜は100%ハウス栽培のはず。
牛はこの時期放牧されていないはずだし、飼料は土地の牧草じゃなくて(今はないでしょう)アメリカ産のはず。
なのになぜこうも迅速に、野菜や牛乳が放射性物質に汚染されるのか?
震災前と後の衛生写真です。写真中央のバーを動かすことにより、比較ができるようになっています。
被害の大きさがこれほどわかる写真はないかと思います。
http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/13/world/asia/satellite-photos-japan-before-and-after-tsunami.html?ref=asia
「七輪陶芸のこと 318」莢で玉ぐい呑みを焼いた。
「七輪陶芸のこと 317」垣紋一輪挿しを焼いた。
「出前陶芸講座のこと No.13」桜沢小学校PTA家庭教育学級で玉造り。
「七輪陶芸のこと 316」七輪陶芸実践講座No.21、地球野外塾編。
「七輪陶芸のこと 315」三耳壺を炭化焼成した。
「七輪陶芸のこと 314」素焼きしてあった渦巻き紋一輪挿しを焼いた。
「七輪陶芸のこと 313」莢でミックス玉ぐい呑みを焼いた。
「七輪陶芸のこと 312」三耳壺を焼いた。
「七輪陶芸のこと 311」小壷を焼いた。
「風布で本焼きのこと 19」備前のマグカップを焼いた。
「七輪陶芸のこと 310」七輪陶芸実践講座の20回目を開催しました。
「風布で本焼きのこと 18」備前土竹筒花生けを焼いた。
「七輪陶芸のこと 309」三耳壺を焼いた。
「七輪陶芸のこと 308」三耳壺を焼いた。
「七輪陶芸のこと 307」200gの三耳壺を焼いた。
「七輪陶芸のこと 306」古信楽荒目茶碗を焼いた。
「七輪陶芸のこと 305」三耳壺を焼いた。
「七輪陶芸のこと 304」ミックス玉ぐい呑みを焼いた。
「七輪陶芸のこと 303」小ぶりの三耳壺を焼いた。
「風布で本焼きしたこと 17」三島の中皿と備前のマグを焼いた。
「七輪陶芸のこと 302」小壷を焼いた。
「七輪陶芸のこと 301」三耳壺を焼き直した。
「七輪陶芸のこと 300」莢に入れたミックス玉ぐい呑みを焼いた。
「七輪陶芸のこと 299」三耳壺の焼き直しに失敗し、新しく取り出した三耳壺を焼いた。
「七輪陶芸のこと 298」莢でミックス玉ぐい呑みを焼いた。
「七輪陶芸のこと 297」 三耳壺を焼き直した。
「七輪陶芸のこと 296」三耳壺を焼いた。
「七輪陶芸のこと 295」莢でミックス玉ぐい呑みを焼いた。
「七輪陶芸のこと 294」水漏れ・小壷を焼き直し。
「七輪陶芸のこと 292」信楽・蹲モドキを焼いた。
「七輪陶芸のこと 292」小壷を焼きました。
「七輪陶芸のこと 291」猫付き一輪挿しを焼いた。
「七輪陶芸のこと 290」白土の莢でミックス玉ぐい呑みを焼いた。
「七輪陶芸のこと 289」栃木の炭で三耳壺を焼いた。
11月はじめに七輪陶芸の取材に見えたとだ勝之氏の作品、
「ホームセンターTENKO」が載ったマガジン:イーノが発売になった。
http://www.genkido.net/tenco.html
ここで取材の様子をご覧になれます。
「七輪陶芸のこと 288」コミック作家の取材を受けました。
「七輪陶芸のこと 287」二度目の莢でミックス玉ぐい呑みを焼いた。
「電気窯で本焼きのこと 16」備前波紋中皿が焼けた。
「七輪陶芸のこと 286」莢で玉ぐい呑みを焼いた。
「七輪陶芸のこと 285」莢に入れてミックス玉ぐい呑みを焼いた。
「栗田美術館 その3」プレ・インカの土器というチャンカイ土器、
プリミティブなものに惹かれる私。
ばっちり、大当たり。入場料なしで見られます。
「栗田美術館 その2」 色鍋島、すごかった。
先月立ち寄った足利市の栗田美術館にびっくりさせられたので、
今月はその様子を、3回レポートいたします。
「栗田美術館 その1」伊万里焼。
「七輪陶芸のこと 282」七輪陶芸実践講座No.19を開講しました。
南からの手紙「西表、船浦港に上陸」を少し修正しました。
「風布で本焼きのこと 15」袋花生け、リハビリ陶芸が焼けた。
「七輪陶芸のこと 281」再三のテストの末、黒楽碗が焼けた。
最近余り顔を出していないのだが、近所でなじみの店が喜楽である。
女将の弟さんがイラストレーターの鶴田一郎氏。
その関係で、数年よりももう少し前の喜楽の新年会の福引で、
一郎氏のイラストのエッチングの作品を頂いた。
そのまま大事にしまいこんで、忘れていたのだが、
先日、ひょんなことで思い出して、画材屋さんに持ち込んで額装して飾った。

昨夜布団に入ったら、久方ぶりにミューズが降りてきて、
今日の午後、南からの手紙一通を一気に書き上げる。
およそ2年ぶりに「西表、船浦港上陸」をアップデートしました。
「七輪陶芸のこと 269」楽茶碗を焼いた。
「七輪陶芸のこと 259」大道土玉ぐい呑みを焼いた。
走者一掃の二塁打と言う感じ。
「吉田明師作陶展」奥様と偶然、広尾の交差点で出会った。
「出前陶芸講座のこと 12」桜沢小PTA学校家庭教育学級で陶芸教室を開講。
「七輪陶芸のこと 257」もぐさ土玉ぐい呑みをコーヒー豆滓で焼いた。
「七輪陶芸のこと 248」七輪陶芸実践講座18回目。
お若いご夫婦をお迎えして、七輪陶芸を実施しました。
寄居中学校昭和43年度卒同窓会第5回の様子をアップロードした。
第4回の様子や、準備幹事会の様子のリンクはそのページに移しました。
「七輪陶芸のこと 241」七輪陶芸体験講座17回目を開講しました。
「七輪陶芸のこと 237」
小壷(茶陶骨董では信楽の「蹲」と言っている形を真似た)を焼いた。
種籾を入れて保存した壷だと言いますが、なかなかうまくいきません。
好い色は出ましたけれどね。
「出前陶芸講座のこと 11」用土小PTA家庭教育講座で陶芸教室を開講。
幼稚園の頃からの幼馴染が本を出したことを知り、早速読んでみた。
20年前に作成した同窓会名簿の住所は既に変更されてしまっている。
作者紹介のHPはは検索できたが、メールアドレスはない。
仕方がないので、お手紙出した、さっきの手紙のご用事なあに?
「ヤギさん郵便」を歌っている場合ではない、状況説明しているのだ。
仕方がないので、出版社宛てに、作家さんに転送してくださいませと、
メールを出して待つこと2ヶ月、返事をようやくいただけました。
ここにブログを開設したそうです。
「出前講座のこと 10」集会所女性学級・陶芸講座を開講。
「出前陶芸講座のこと 9」寄居中PTA第2学年親子文化講座を開講しました。
1年と4ヶ月ぶりで「海でやっていたこと」を更新しました。
「南からの手紙」に「与那国から石垣」をアップデート。
ようやく西表に接近。
次回こそ西表上陸か!? それともまた低気圧で停滞?
「出前陶芸講座のこと 8」鉢形内宿子ども会に呼ばれた。
「出前陶芸講座のこと 7」寄居小PTA家庭教育学級で湯飲みを製作。
「出前陶芸講座のこと 6」鉢形小PTA家庭教育学級で湯飲みを製作。
「出前陶芸講座のこと 5」桜沢小PTA家庭教育学級で花生けをつくる。
「電気窯で本焼きのこと 3」貼寄茶碗を焼いた。
「出前陶芸講座のこと 4」をアップデート。
いかにして簡単に、もしくは片手で作れる湯飲み。
介護サービスでの陶芸講座、自分で作った湯飲みでお茶を飲みましょう。
「出前陶芸講座のこと 3」今回はお年寄りと七輪陶芸。
ここでは作る喜びを持ってもらう為に、七輪陶芸から始めて、
自作の湯飲みでお茶を飲むところまで頑張りましょう。
「電気窯で本焼きしたこと」新構想作品の全貌。
「七輪陶芸のこと 186」2代目自作七輪デヴュー、半年掛りで組み上げ花器完成。
「出前陶芸講座のこと 2」桜沢小PTA家庭学級・陶芸教室。
「七輪陶芸のこと 185」六角ぐい呑みで作るのは組み上げ花器、
自作七輪がとうとう崩壊。
「七輪陶芸のこと 184」組み合わせる六角形ぐい呑みを焼く・続き。
「七輪陶芸のこと183」組み合わせる六角形のぐい呑みを焼いた。
「七輪陶芸のこと174」七輪陶芸実践講座16回目を開講。
「七輪陶芸のこと170」七輪陶芸実践講座15回目。
「出前陶芸講座のこと」
用土小PTA家庭教育講座・陶芸教室の講師を頼まれた。
「七輪陶芸のこと143」七輪陶芸実践講座第14回を開講。
「うつわのみせDENでの楽焼イベント」紫松窯の本焼きデモもレポートしています。
「七輪陶芸のこと132」七輪陶芸実践講座13回目を開講。
「備前登り窯・窯焚き体験」
さるHPに備前焼の体験をしませんかとあったので連絡をとってみた。
土を分けてもらい、作品搬入、窯詰、窯焚き、窯出しの日程を約束。
「七輪陶芸のこと119」七輪陶芸講座12回目を開講。
「ログブック・バリ」夏気分を味わってください。
「七輪陶芸のこと114」七輪陶芸実践講座11回目。
「七輪陶芸のこと108」七輪陶芸実践講座10回目、弟編。
「七輪陶芸のこと106」生涯学習祭で七輪陶芸デモ。
「七輪陶芸のこと102」七輪陶芸実践講座9回目、PCの師匠篇。
「七輪陶芸のこと101」七輪陶芸実践講座8回目、中学校の先生の巻。
「七輪陶芸のこと99」七輪陶芸実践講座7回目、妹夫婦の巻。
「七輪陶芸のこと96」エネルギーのお二人がやってきてテレビ東京の取材。
「七輪陶芸のこと92」七輪陶芸実践講座6回目を開講。
「七輪陶芸のこと91」吉田明氏の窯出し展。
「七輪陶芸のこと90」七輪陶芸実践講座5回目を開催。
「七輪陶芸のこと85」七輪陶芸実践講座4回目を開催。
茅ヶ崎市東海岸南6、
この旧邸は14年10月、開高健記念館として開館予定。
18 til i die 死ぬまで18。
「七輪陶芸のこと79」七輪陶芸実践講座3回目を開講。
「七輪陶芸のこと77」七輪陶芸実践講座2回目を開講。
「吉田明氏の紙窯」紙の窯から焚かない窯へ、新たな1年の始まり。
「七輪陶芸のこと69」公民館の生涯学習祭りで七輪陶芸を実演。
画像が多いので、見に来てくれた人たちと、作品の2ページになった。
「七輪陶芸のこと61」七輪陶芸実践講座を開催しました。
「七輪陶芸のこと60」インパクパーティでの七輪陶芸のデモンストレーション。
「インパクパーティ2001で出会った人たち」VAIOの画像から。
インパクの「田口編集長自ら設営者を突撃訪問」のコーナーで
七輪陶芸オフを襲撃する その1が紹介されました。
七輪陶芸オフを襲撃する その2が紹介されました。
「七輪陶芸のこと54」昨日吉田明師匠の窯出し展で七輪陶芸してきた。
「七輪陶芸のこと53」みんなで七輪陶芸パーティ、インパクも取材に来た。
「七輪陶芸のこと51」昨日のTBSの取材のこと。
「七輪陶芸のこと47」Channel Jというテレビ局が取材にきました、その模様。
update 01 03/26 窖窯焼成に参加したこと
update 01 01/31 七輪陶芸のこと 34 日本テレビの取材、番組名は「発想自由人」
七輪陶芸・始めてみよう・@準備・A素焼きと本焼き」入門編としてまとめてみました。
update 2000 12/10 七輪陶芸のこと 30 NTVの取材、1日でつくって焼いて乾杯まで
update 2000 10/03 七輪陶芸のこと 25 第2回戸板市・七輪陶芸イベント
update 2000 08/23 七輪陶芸のこと 23 文理中3少年の七輪陶芸
update 2000 06/06 七輪陶芸のこと 16 自作七輪が焼けた
update 1999 11/04 七輪陶芸のこと 06 吉田明氏の七輪陶芸展で不思議な窯があった
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