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鉢形城跡は玉淀を望む景勝・要害の地に位置しており、寄居の市街地とは荒川を隔てた丘陵上にあって、寄居駅からは徒歩でも30分程度の絶好の散策コースとなっています。そもそも、寄居という名称は「堀の内」「根小屋」と同じように城下の集落の意味で、末野にあった花園城の城下町から出たものと言われています。町内には鉢形城跡の他にも花園城跡・北条氏邦の墓・未野窯跡群などの多くの文化財が存在します。
鉢形城跡は戦国期の代表的な平山城で、戦国史の舞台をかざった関東屈指の名城です。『新編武蔵風土記稿』では源経基によって築城され、その後畠山重忠が在城したとされていますが、城郭の構造や史料からは文明8年(1476)6月に長尾景春が築いたとする説が最も有力と考えられています。その後、上杉顕定や古河公方足利政氏の弟である上杉顕実が城主となりますが、小田原の北条氏の勢力が武蔵に浸透し上杉氏は一掃されます。永禄初年ころには北条氏邦が入城して大規模な改修工事が行われ、その勢力範囲を拡大していきました。しかし、豊臣秀吉の天下統一が進み、天正18年(1590)の小田原征伐に伴って鉢形城も大軍に攻められ、6月14日に落城しました。
鉢形城は本丸を中心に二の丸・三の丸・諏訪曲輪・秩父曲輪・外曲輪などが造られ、ぞれぞれ土塁と堀によって区切られています。また、周囲には小規模ながら城下町が形成され、諏訪神社の南が「大手」、正喜橋周辺が「搦手(からめて)」になっています。鉢形城は保存状況も良く、規模的にも北武蔵一を誇る城郭です。埼玉には多くの城郭が残されていますが、昭和7年にいちはやく国の指定を受け、学術的価値もきわめて高いといえます。鉢形城跡を大切に保存していくために、指定された地城は順次公有化を進めていますが、面積は約24万平方メートルと広大で全域の公有化にはまだ時間が必要です。現在は発掘調査を実施して、歴史的事実に基づいた城郭の復元整備を計画していますが、本格的な整備がされるまでのあいだ草花を植えたり、遊歩道を設けるなど暫定的な整備を行っています。
鉢形城跡は寄居町のシンボルともいえる貴重な文化財です。この鉢形城跡を将来にわたってまもり、史跡公園として活用するために保存整備を進めているところです。
◎鉢形城跡の紹介は順次、発掘調査の資料に基づき掲載いたします。
三の丸発掘 伝御金蔵曲輪
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